2009年 02月 05日
止まらない涙。一人でなく涙。 |
泣くってなんでしょう。
今とても涙を流しています。
原因は元嫁から来たメールがきっかけです。
メールの内容は別に関係ないです。
一応説明すると、子供に会いたいという内容です。
まぁただ、1ヶ月ぶりくらいのメールで元嫁の存在を
忘れていたところに、不意に来たメールで…
忘れていたというものおかしいが…そろそろ来るとは覚悟はしていた。
この涙はきっとくやし涙。
布団に入り、目をつぶると元嫁のことを考えてしまう。
考えるって再婚したいとかそういうじゃなくて、
あのころ元嫁は何を考えていたのだろう
離婚して、離婚する前に考えていたとおりに生活できているのだろうか
なぜあのとき、元妻は約束を守れなかったのか。
少なくとも俺は離婚2週間前のあの日までは嫁を愛していたはず。
離婚をしたのは8月の半ば
離婚を切り出されたのは前年の12月末
離婚にいたるまで8ヶ月もあったのだが
その経緯を少し今日は書こうとおもう。
まぁ細かく書けば12月末以前からも離婚の兆候はあったのだが
今回はそこに触れないとする。
----------------------------------------------------------
平成18年12月下旬
突然の外泊。私が夜勤明けで寝ている間に外出しそのまま帰宅せず。
パソコンで最近閲覧している履歴をチェックしてみると、
妻が浮気をしている内容のブログを発見。
ブログの内容は、誰かとあってやさしくされているような内容であった。
そして、9月ごろ出会ったなどと書かれている。
深夜0時ごろだったにもかかわらず、北海道の姉に電話。
浮気をどうやらしていると話し、連絡をとってもらおうと思ったが
連絡はつかなかったようだ。次の日の昼前に帰宅。
本人いわく、上野のほうのラブホテルに一人で宿泊したとのこと。
そこで自殺をしようとしていたこと。
ブログは、浮気の自作自演をしていやな女を演出しようとしていたという。
そして、子供の育児をやっていく自信がないという。
私はどうにもこうにも浮気が自作自演だということが信用できず、
だったら携帯をみせてくれというが、みせるくらいなら離婚でいいといい結局みせず。
私も離婚となると子供のこともあるし、私自身まだ妻を愛しているので
離婚には踏み切れず、これから私の休日は子供を私がなるべく連れ出して
一人になる時間をいっぱいつくるから考えなおしてくれという結論に落ち着く。
平成19年1月中旬
「やっぱり離婚しよう」といわれる。
とくに話の続きはない。
平成19年1月下旬
保育園もきまらないなか、就職活動開始。派遣会社に登録する。
つまり、保育園もきまってない中就職したら離婚するという結論を妻がだしたらしい。
平成19年2月上旬
就職=離婚ではなく、就職=別居で様子をみないかと私が提案
私の仕事を固定のシフトにしてもらい。夜勤のときだけ子供をみてくれないかと提案。
夜勤は土日なので、土日が休みの仕事を探してくれるということで納得。
平成19年2月下旬
本当は育児がいやなのではなく、私自身がいやになっと聞かされる。
育児がいやになったということにして置いたほうが、私にとっていいのではないかと
いうことでウソをついていたらしい。
私自身これが本当なのかはよくわからない。育児に疲れていたのは事実だと思う。
いやそう思いたいだけかもしれないが…
まぁ真実はわからないにしろ、育児に疲れて一人の時間がほしいとのことで
許可?していた無断外出であったが。そうでないのであれば私から見たら
無断外出はストレス以外のなにものでもなかった。
平成19年3月
毎週のように無断外出・外泊を繰り返す。
「別に浮気してもいいんだよ?」なども言われる。
意味がわからない…なぜそんなことをいうのか…
逆にあまりにも無断外泊がひどいので
「無断外泊とかするなら離婚してからにしてくれ」と私のほうからいう。
平成19年4月
毎週ではないが、無断外出はたまにある。
就職先はいまだにきまらず、ストレスもあると思われるので
多少多めにみていた…
下旬にイチゴ狩りを提案いくことになる。
イチゴ狩りを提案した理由は二つある。
1、離婚前の思い出作り。
2、予定を入れることによる無断外出防止。
このことは本人は知らないかもしれない。1の理由は話したかもしれない。
このイチゴ狩りの帰りに、実家に帰りたいとのこと。許可する。
平成19年5月上旬
実家に帰る二日前に無断外泊。
実家に帰ったら二つのことを考えてきて欲しいとたのむ
1、いまの夫婦仲の現状を母に伝えること(本人も伝える予定だったらしい)
2、「無断外泊とかするなら離婚してからにしてくれ」ということについて。
平成19年5月中旬
帰宅後、上記二つのことについて触れない。
妻から話してくれることを待つことにする。
平成19年5月29日
この所私が実家に帰る日を気にしているもよう。
やはりというべきか、私が実家に帰るとわかると
わかってはいたのだが外出先などつげづに外出。
やはり私から、1,2のことについて聞くべきだったのかもしれない。
夜21時ごろ帰宅し、1,2のことに付けたし
3、これからどうしていきたいのか
をたずねるも返事はなし。今日はそっとしておくとしよう。
平成19年6月3日
朝方6時になってもネットゲームやめない為、私が激怒。
一応2度警告はしていたものの、警告と受け取っていなかったのか、
単純に無視をしていたのかは分からない。
平成19年6月4日
今夜も深夜帯にネットゲームをしている。
前日から会話がないため、仲直りをこちらから持ちかけるも断られる。
私の中に怒りという感情はなかったが、やはりもうこの状態を維持するのが限界と
感じたので妻に以下を提案する。
零の誕生日6月9日までは現在の生活を続ける。
9日以降は私と零が実家に帰り妻が現状の家に住む。
6月中に妻には仕事に就いてもらい今の家から出て行ってもらう。
離婚時期は話あったがとりあえずは未定。
こちらからの提案であったが何も意見がないもよう。
結果的に私から妻に出て行ってくれと言うことになったのだが
妻いわく、よく今まで言わなかったとのこと…
結局最後まで何をしたかったのかは不明であった。
沖縄に戻った時に、母には現状のことを話したらしい。
私的には、妻の望む就職先に就き、別居という形をとることによって、
東京で友達をつくったり、環境の変化でまた妻として戻って来てもらうことを
望んでいたのだが、結果的に私のほうから別れの時期を早めてしまったことになったのかもしれない。
とても残念ではあるのだが、妻の不可解な行動、日常生活のだらしなさなど
私も限界であったことをできれば理解してほしい。
平成19年7月
妻就職。6月中に出て行くという約束は果たせなかったものの
ようやく就職先が決まり、妻がでていくと思いきや…
研修期間が終わるまでは家にいたいと逆提案される。
今までの素行の悪さ、このまま家にいてもなにもかわらない現状に私は反対する。
私は、妻の無断外泊や生活のだらしなさなどから
すでに復縁に関して疲れきっており一刻も早く別居をしたかった。
ただ今年いっぱい別居を体験して妻が戻って来ることを願っていた。
ここで妻のおそらく真意にようやく触れられた気がすることがひとつあった。
私のどこが嫌いになったか。
ここには記述しないが「そんなことでか!?(いろいろな意味で)」
っという内容だった。
っとまぁいろいろあって、別居タイミングは本人にまかせることにした。
いつ約束をしたかは覚えていないが、ここでこの先重要になる
「あの約束」について念を押しておいた。
離婚するまでこの約束だけはしないでくれと。
平成19年8月
妻が別居先を見つける。
後に、妻が「あの約束」を破る。
平成19年8月某日
離婚成立。
----------------------------------------------------------
あの約束が破られなかったら…
12月までは離婚していなかったかもしれない。
あの約束が破られなかったら…
こんなに今元妻を憎く感じなかっただろう。
あの約束が破られなかったら…
今、涙を流す理由もないだろう。
今とても涙を流しています。
原因は元嫁から来たメールがきっかけです。
メールの内容は別に関係ないです。
一応説明すると、子供に会いたいという内容です。
まぁただ、1ヶ月ぶりくらいのメールで元嫁の存在を
忘れていたところに、不意に来たメールで…
忘れていたというものおかしいが…そろそろ来るとは覚悟はしていた。
この涙はきっとくやし涙。
布団に入り、目をつぶると元嫁のことを考えてしまう。
考えるって再婚したいとかそういうじゃなくて、
あのころ元嫁は何を考えていたのだろう
離婚して、離婚する前に考えていたとおりに生活できているのだろうか
なぜあのとき、元妻は約束を守れなかったのか。
少なくとも俺は離婚2週間前のあの日までは嫁を愛していたはず。
離婚をしたのは8月の半ば
離婚を切り出されたのは前年の12月末
離婚にいたるまで8ヶ月もあったのだが
その経緯を少し今日は書こうとおもう。
まぁ細かく書けば12月末以前からも離婚の兆候はあったのだが
今回はそこに触れないとする。
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平成18年12月下旬
突然の外泊。私が夜勤明けで寝ている間に外出しそのまま帰宅せず。
パソコンで最近閲覧している履歴をチェックしてみると、
妻が浮気をしている内容のブログを発見。
ブログの内容は、誰かとあってやさしくされているような内容であった。
そして、9月ごろ出会ったなどと書かれている。
深夜0時ごろだったにもかかわらず、北海道の姉に電話。
浮気をどうやらしていると話し、連絡をとってもらおうと思ったが
連絡はつかなかったようだ。次の日の昼前に帰宅。
本人いわく、上野のほうのラブホテルに一人で宿泊したとのこと。
そこで自殺をしようとしていたこと。
ブログは、浮気の自作自演をしていやな女を演出しようとしていたという。
そして、子供の育児をやっていく自信がないという。
私はどうにもこうにも浮気が自作自演だということが信用できず、
だったら携帯をみせてくれというが、みせるくらいなら離婚でいいといい結局みせず。
私も離婚となると子供のこともあるし、私自身まだ妻を愛しているので
離婚には踏み切れず、これから私の休日は子供を私がなるべく連れ出して
一人になる時間をいっぱいつくるから考えなおしてくれという結論に落ち着く。
平成19年1月中旬
「やっぱり離婚しよう」といわれる。
とくに話の続きはない。
平成19年1月下旬
保育園もきまらないなか、就職活動開始。派遣会社に登録する。
つまり、保育園もきまってない中就職したら離婚するという結論を妻がだしたらしい。
平成19年2月上旬
就職=離婚ではなく、就職=別居で様子をみないかと私が提案
私の仕事を固定のシフトにしてもらい。夜勤のときだけ子供をみてくれないかと提案。
夜勤は土日なので、土日が休みの仕事を探してくれるということで納得。
平成19年2月下旬
本当は育児がいやなのではなく、私自身がいやになっと聞かされる。
育児がいやになったということにして置いたほうが、私にとっていいのではないかと
いうことでウソをついていたらしい。
私自身これが本当なのかはよくわからない。育児に疲れていたのは事実だと思う。
いやそう思いたいだけかもしれないが…
まぁ真実はわからないにしろ、育児に疲れて一人の時間がほしいとのことで
許可?していた無断外出であったが。そうでないのであれば私から見たら
無断外出はストレス以外のなにものでもなかった。
平成19年3月
毎週のように無断外出・外泊を繰り返す。
「別に浮気してもいいんだよ?」なども言われる。
意味がわからない…なぜそんなことをいうのか…
逆にあまりにも無断外泊がひどいので
「無断外泊とかするなら離婚してからにしてくれ」と私のほうからいう。
平成19年4月
毎週ではないが、無断外出はたまにある。
就職先はいまだにきまらず、ストレスもあると思われるので
多少多めにみていた…
下旬にイチゴ狩りを提案いくことになる。
イチゴ狩りを提案した理由は二つある。
1、離婚前の思い出作り。
2、予定を入れることによる無断外出防止。
このことは本人は知らないかもしれない。1の理由は話したかもしれない。
このイチゴ狩りの帰りに、実家に帰りたいとのこと。許可する。
平成19年5月上旬
実家に帰る二日前に無断外泊。
実家に帰ったら二つのことを考えてきて欲しいとたのむ
1、いまの夫婦仲の現状を母に伝えること(本人も伝える予定だったらしい)
2、「無断外泊とかするなら離婚してからにしてくれ」ということについて。
平成19年5月中旬
帰宅後、上記二つのことについて触れない。
妻から話してくれることを待つことにする。
平成19年5月29日
この所私が実家に帰る日を気にしているもよう。
やはりというべきか、私が実家に帰るとわかると
わかってはいたのだが外出先などつげづに外出。
やはり私から、1,2のことについて聞くべきだったのかもしれない。
夜21時ごろ帰宅し、1,2のことに付けたし
3、これからどうしていきたいのか
をたずねるも返事はなし。今日はそっとしておくとしよう。
平成19年6月3日
朝方6時になってもネットゲームやめない為、私が激怒。
一応2度警告はしていたものの、警告と受け取っていなかったのか、
単純に無視をしていたのかは分からない。
平成19年6月4日
今夜も深夜帯にネットゲームをしている。
前日から会話がないため、仲直りをこちらから持ちかけるも断られる。
私の中に怒りという感情はなかったが、やはりもうこの状態を維持するのが限界と
感じたので妻に以下を提案する。
零の誕生日6月9日までは現在の生活を続ける。
9日以降は私と零が実家に帰り妻が現状の家に住む。
6月中に妻には仕事に就いてもらい今の家から出て行ってもらう。
離婚時期は話あったがとりあえずは未定。
こちらからの提案であったが何も意見がないもよう。
結果的に私から妻に出て行ってくれと言うことになったのだが
妻いわく、よく今まで言わなかったとのこと…
結局最後まで何をしたかったのかは不明であった。
沖縄に戻った時に、母には現状のことを話したらしい。
私的には、妻の望む就職先に就き、別居という形をとることによって、
東京で友達をつくったり、環境の変化でまた妻として戻って来てもらうことを
望んでいたのだが、結果的に私のほうから別れの時期を早めてしまったことになったのかもしれない。
とても残念ではあるのだが、妻の不可解な行動、日常生活のだらしなさなど
私も限界であったことをできれば理解してほしい。
平成19年7月
妻就職。6月中に出て行くという約束は果たせなかったものの
ようやく就職先が決まり、妻がでていくと思いきや…
研修期間が終わるまでは家にいたいと逆提案される。
今までの素行の悪さ、このまま家にいてもなにもかわらない現状に私は反対する。
私は、妻の無断外泊や生活のだらしなさなどから
すでに復縁に関して疲れきっており一刻も早く別居をしたかった。
ただ今年いっぱい別居を体験して妻が戻って来ることを願っていた。
ここで妻のおそらく真意にようやく触れられた気がすることがひとつあった。
私のどこが嫌いになったか。
ここには記述しないが「そんなことでか!?(いろいろな意味で)」
っという内容だった。
っとまぁいろいろあって、別居タイミングは本人にまかせることにした。
いつ約束をしたかは覚えていないが、ここでこの先重要になる
「あの約束」について念を押しておいた。
離婚するまでこの約束だけはしないでくれと。
平成19年8月
妻が別居先を見つける。
後に、妻が「あの約束」を破る。
平成19年8月某日
離婚成立。
----------------------------------------------------------
あの約束が破られなかったら…
12月までは離婚していなかったかもしれない。
あの約束が破られなかったら…
こんなに今元妻を憎く感じなかっただろう。
あの約束が破られなかったら…
今、涙を流す理由もないだろう。
by n-agi
| 2009-02-05 05:38